旅の行き先が決まり、持って行くカメラが決まったあとで、こういう写真が撮れたらいいなとイメージを膨らませることが、良い結果に結びつかないことに、あるとき気づいた。写真を撮りたくてたまらない日よりも、例えば友だちの買い物に付き合っているときのほうが、ずっと素敵な光景に出会うことがある。心が開かれているからだろう。
台北は何度も訪れている好きな街で、眼を閉じれば思い浮かぶ景色もたくさんある。Quattroの45mmの画角も初代DP2から使っているからお馴染みで、こういった写真が撮れるだろうという予測も容易にできた。でもその予測を超えないかぎり、このカメラのポテンシャルと衝撃を写真で表すことはできないだろうと思った。
旅のあいだは、嗅覚に任せ、ほとんど計画もなしに移動した。雨が降れば眼に留まったカフェに入り、目的地も決めずに地下鉄に乗り、人の流れを感じて飛び降りることもあった。帰国してRAW現像しながら二日半を振り返り、僕は二度目の旅をすることになる。看板に描かれた文字や、べつの人に気をとられていて見えていなかった人や、写真を撮ることに集中し過ぎて聞こえなかった音や、匂いまでもが、そこに写っていたからだ。
Quattroの可能性はもちろんのこと、高画質がもたらしてくれる恩恵と、なによりもカメラを携えて旅をすることの楽しさが、ここに並べた出会いから伝わったらと願う。それは人生を再発見するような、写真の喜びを実感する体験だった。

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